増原メッセージ:(3)事実を受け入れ、国際化を受け入れ、アジア全体として考える

 私は現在台湾の新竹市のサイエンスパークの一角にある国立交通大学で研究をしている。若いころは欧米の大学で研究生活をしたいと思っていたが実現せず、 阪大退職後になって、新竹に来て研究室を立ちあげませんかというお誘いを戴いた。2008年より元気な台湾の教員や院生と忙しく、楽しく過ごしており、 湧き上がるアジアの大学の息吹を毎日感じている。しかし思えば、研究者としての私の個人史の中にまさに世の変遷が反映している。 私は1962年に東北大学理学部化学科第二学科に入学した。日本の主要大学の理学部に化学第二学科が、工学部では従来の応用化学に加え合成化学科、 石油化学科が増設された時代である。私たちは学科の定員が倍増したから入学できたのだと自嘲したものである。当然ながら、それは人口が増え、 工場が増設され、中央研究所が設置されたその社会の要請の結果である。しかしそれから数十年たって、人口が減り、工場はアジア各国にシフトし、 会社は基礎研究を続けることはできなくなっている。日本の理学部、工学部の社会的ニーズが減りつつあるのは厳然たる事実である。
 その状況下、大学、学会はどう生きていくか、化学研究をどう発展させるか、その答えは国際化にあることに誰も異論はない。国際化に対応し、 世界中と競争しつつ、アジアの中で生きていかなければならない。質的には日本の大学を圧倒的に強くし、世界のトップクラスにすることであるが、 アジアでもすでにシンガポール、香港の大学はその先頭を走ろうとしている。量的にも日本の大学、学会を縮小するのではなくもっと発展させたい。 そのためにはどう考えるか、ここでは「3分の1をアジア化する」を目安として国際化することを提案したい。日本の人口は、2050年に8千万人になるという報告もあり、 現在と較べて3分の1も人口が減ることになる。大学も学会もすべて3分の1減になるのを避けるには、3分の1を目安にアジアから補うしかない。 大学は学生(院生ではない)定員の3分の1をアジア人にする。地方から東京に出てくるように、アジアから日本に来てもらう。日本化学会の会員も3分の1くらいは アジア人としたい。研究者、教員も3分の1はアジアからの人となるだろう。JSPSやJSTの研究費配分も3分の1はアジアからの研究者に配ることが必要である。 これが今の大学や学会を量的に維持し、発展させる目安であろうと考える。
 多くの研究者、大学、学会、文部省、独立法人も国際化の努力しているのはよく理解しているが、今のスピードで国際化を進めていって、10年経ったら日本の大学は アジアの中どうなっているか、まことに心配である。私も早くから大学の国際化、学会の国際化に微力を尽くしてきたが、それでも英語で授業をし、 英語で研究室セミナーをすることには心理的抵抗があった。しかし今や私自身が、英語が下手でも英語で研究し、マネージせざるをえない状況下にある。 国際化は個人の経験や感覚を超えて大きく進んでいる。この事実を受け入れて、3分の1を目安にアジア化してしまおう、今ならまだ間に合うかもしれないと、台湾にいて感じている。

(このメッセージは日本化学会会誌「化学と工業」の巻頭言として書いたものと同じです。Vol.66,No.5 2013年)



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