増原メッセージ:(7)徳丸先生を囲む会における乾杯の音頭

 乾杯の音頭という事ですが、まず一言述べさせていただきます。私は研究者として物心がついたころから、 徳丸先生のユニークな生き方に強い印象を受けてきました。ご丁寧な立ち居振る舞いなので最初はあまりよくわからなかったのですが、 だんだん徳丸先生はユニークな方だと気がつきました。先生は東大理学部化学ご出身の光化学者としてお若い時から有名でした。 研究成果のみならず、マートで、ソフトな物腰もまた有名でした。しかしそれがユニークであるということではなく、 ご退職後の徳丸先生の生き方がユニークだと申し上げたいと思います。
 私がおりました大阪大学の著名な先生の退職後の先生方の生き方と較べてみましょう。私の恩師の又賀昇先生は、 退職後も全く同じペースで研究を続けられました。同じ基礎工の坪村宏先生は、研究の世界からさっと身を引かれました。 阪大応物の南茂夫先生は、大学の管理に入られ、大阪電気通信大学の学長をされました。阪大レーザー研の山中千代衛先生は、 退職前にもうすで作られていた研究所の所長として、レーザー工学の分野を発展させられています。
 徳丸先生は、長年の研究教育の経験と実績に立たれて、様々なプロジェクト、研究所、会社の指導、評価、 アドバイザーを務めてこられました。それも現場の研究者の視点で議論されてきたように感じています。 これだけ長期にわたって、研究室の雰囲気で研究評価、アドバイスに貢献されてきた、その生き方に感動をしている次第です。
 もう一つ徳丸先生のユニークさの例を上げましょう。徳丸先生は退職後に香港科学技術大学で客員教授を務め、 また台湾で国家科学委員会化学研究推動中心の客員として評価を担当しておられました。1995年のこととただいま確認をしました。 最近ではアジアに職を求める研究者も遠く、私もその一人ですが、私が移ったのは2008年のことです。 徳丸先生は20年弱前に、アジアの大学の大展開を予測されていたことになります。香港に出かけられたのは、 徳丸先生ならではのまことにユニークなご選択だったと思います。
 それでは乾杯に入ります。徳丸先生、奥様、ご健康に気を付けられて、今後ともユニークな研究者の生き方を見せていただいて、 我々をはげましてください。また参加者ご一同のご健康とご研究の発展をお祈りして乾杯したいともいます。ご唱和ください。乾杯!

                                                    増原 宏

徳丸克己先生を囲む会(PDF:231)
「ご縁で結ばれ活かされたこの19 年」:徳丸先生からの御礼の言葉(PDF:6290)


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