増原メッセージ:(15)レーザーフォトリシスからレーザーナノ化学へ

レーザーフォトリシスからレーザーナノ化学へ
From Laser Photolysis to Laser Nano Chemistry

1. はじめに
私は高校時代までぼんやりした奥手の学生であったが,高校3年生で受けた化学の授業が面白く,化学を専門として勉強しようという気持ちになった。使われた教科書の末尾に,理学部や工学部で化学を勉強するとどういう仕事につけるかという紹介があったことが記憶に残っている。編集者顧問のお一人が東北大学の小泉正夫教授であった。1962年,大阪の三国ヶ丘高校からただ一人仙台の東北大学理学部に入った。教養部の2年で専門を選ぶときは迷わず化学科を選び,そして4年の卒業研究の研究室として物理化学・光化学の小泉正夫先生に指導を仰ぐことにした。小泉先生が翻訳されたポーリングの「化学結合論」,大著「光化学概論」(Figure 1)を読もうとしていたので,その影響があったのだと思う。当時の東北大化学は天然物有機化学が強かったが,物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間が面白い,また私に向いていると思った。直接の指導は奥田典夫助教授(後に環境庁環境科学研究所部長)にいただいた。修論をまとめるころまで小泉先生と直接研究の議論はなかったが,先生の研究生活はぼんやりした青年には強烈なものがあった。先生は毎朝八木山のご自宅から片平の理学部まで歩いて来られ,きちんと決まったスケージュールで仕事をされ,トイレにも背中から出たワイシャツが乱れたまま走るようにして急いで行かれた。小泉先生は大変物静かで紳士的な方であったが,研究とは,研究生活とはかくなるものかという強い印象を持ったことを昨日のことのように思いだす。その後、私は博士課程で阪大基礎工学部に移り,又賀f研究室で学位を取ることにした。1968年のことである。又賀f先生はその年に設置されたナノ秒ルビーレーザーを前に,「今後光源はすべてレーザーに置き換わる,レーザーを使った光化学の研究には無限の可能性がある」と諭され,若い私は大いに感激した。私はレーザーを使った研究で学位を取る又賀研で初代の院生となり,ナノ秒ルビーレーザーを安定して発振させること自体が最初の仕事であった。ナノ秒レーザーならではの論文が書ければそれが新しいという認識もあって,全く自由にテーマを考えることができた。この時いわゆる探索研究の醍醐味を味わったのだと思う。以来レーザーならではの分子系の研究を心がけ,化学科,合成化学科,高分子学科,応用物理学科,生命機能研究科,物質創成科学研究科に籍を置いて,いわゆる境界領域で働いてきた。しかし研究内容は一貫してレーザーを駆使した分子科学,光化学であった。思うに物理化学ほど,開拓的な学問を可能にし,物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の醍醐味を味わえる分野はない。2014年で70歳になったが,今も台湾の新竹にある国立交通大學でレーザーと顕微鏡を駆使した探索研究を続けている。

Figure 1 Pauling, L. The Nature of the Chemical Bond (Translated to Japanese by Koizumi, M.; Kyoritu Shuppan Koizumi, M. Introduction to Photochemistry; Asakura Shoten

2.東北大学小泉研時代,閃光法と電子状態計算(1965−1968年)
小泉研では色素の光酸化還元反応の反応速度的解析に加え,閃光法(フラッシュホトリシス,今流に言えばミリ秒,マイクロ秒時間分解可視紫外吸収分光法)で反応初期過程を直接測定解析するとともに,剛性溶媒中に反応中間体をトラップして分光し,その電子状態を明らかにする研究が行われていた。私は剛性溶媒法のテーマを与えられたが,ここではまず小泉研における閃光法の開発とその光酸化還元反応への適用について触れておきたい。今では時間分解分光はX線からテラヘルツ分光まであらゆる波長領域で当たり前のことになっているが,初期には電子スペクトルのみが対象であった。閃光法(フラッシュホトリシス)は第一のフラッシュ光で励起分解を引き起こし(フォトリシス),第二のフラッシュ光で電子スペクトルを測定し光反応を明らかにする。レーザーが誕生した1960年よりはるか前の第二次大戦中に,イギリスのNorrishとPorterにより開発され,彼らは1967年にストップドフロー法の開発者Eigenとともにノーベル賞を受賞している。小泉研で助手をされていた臼井義春さん(茨城大学名誉教授),内田健吾さん(弘前大学名誉教授)によれば,小泉研では1957年に加藤俊二先生が助教授として着任され,閃光分光装置の製作が開始された。もちろんフラッシュランプ,その電極,電気回路もすべて自作である。1959年にはNature誌に,閃光法による色素の過渡吸収スペクトルと色素光還元の結果が,加藤俊二・小泉正夫,および内田健吾・加藤俊二・小泉正夫の名前で出されている1。その後,博士課程の院生だった吉良爽さん(のちに理研主任研究員,高輝度光科学研究センター長),盛田正治さん(のちに松本歯科大教授)らにより改良され,さらに1966年から1970年前半にかけ菊地公一さん(北里大名誉教授)により二段階励起閃光法,遅延蛍光と吸収の同時測定である発光吸収閃光法(小泉先生によるネーミング)として発展し2,光化学初期過程における素過程の速度定数の決定に威力を発揮した。私は小泉研時代にはこの閃光法のグループに属してはいなかったが,この研究は後にナノ秒,ピコ秒レーザーを光源にしたレーザーフォトリシス装置の開発とそれを駆使した研究に深く関わる伏線になっているように感じる。吉原經太郎先生(分子研名誉教授)によれば,1966年には東大物性研長倉研究室では坪村宏先生が中心となってフラッシュホトリシス装置が稼働していたとのことである3

一方剛性溶媒法による反応中間体の研究の流れでは,助手の新妻成哉さん(後に岩手大学)がESRを用いて研究していた。私は当時の奥田助教授に色素中間体のπラジカルを安定捕捉し分光するとともに,その電子吸収スペクトルを帰属するテーマをいただいた。当時の片平キャンパスにあった計算センターに通い,Pariser-Parr-Popleの開殻系電子状態の計算プログラムを開発することになった。ときどき東大本郷の大型計算機センターへ出張させてもらい,プログラム開発のスピードをあげた。奥田先生は1966年から米国に長期出張され,化学教室には電子状態計算の経験者がおられなかったので,一人で取り組まねばならなかった。その時手紙でご教示願ったのが,東工大の森雄二,大阪市大の西本吉助,千葉大の青野重行先生方であった。化学同人の「量子化学(福井謙一研究室共同執筆)」を読み,雑誌「化学」に毎号載せておられた細矢治夫先生の解説を参考にした。しかしPariser-Parr-Popleの開殻系電子状態の計算は長倉研究室ですでにされていて(私は全く知らなかった),Spectra Chimica Acta誌に石谷・長倉のお名前で出版されてしまった。電子状態の世界で東大長倉グループ,京大福井グループの強大さを実感し,また自分の能力の限界も悟り,物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間が面白いと言いつつも,ものの豊かさの研究の方へシフトしたいと考えた。

Figure2 Mataga, N. Introduction to Photochemistry, Kyoritu Shuppan Mataga, N. Molecular Interactions and Electronic Spectra, Marcel-Dekker

3.阪大又賀研時代,ナノ・ピコ秒レーザーフォトリシス(1968−1984年)
又賀f先生は若くして新設の基礎工学部合成化学科の教授になられたが,すでに又賀・Lippertの式,又賀・西本近似の提案者として世界的に御高名であられた。このお仕事に関する2報は,後に岩波から戦後の研究の代表例をまとめた「論文に見る日本の科学50年」に報告されている4。また分子強磁性の概念を提案した有名な論文を1968年に発表しておられる。私はこの3報が華々しいレーザー光化学時代に突入する以前で最もメモリアルなお仕事と思っている。またそのころ分子の電子状態や光化学に関する著書も出版された(Figure 2)。私は1968年に小泉研の修士から又賀研の博士課程の院生としてシフトし,レーザーを動かしてナノ秒フォトリシスの研究を始めるよう指示された。それまで量子化学の勉強をして,計算プログラムを作り,既成の装置を使って測定したデータの帰属をしていた私は,装置を作り動かす実験を一から始めることになった。この時小泉正夫・加藤俊二両先生の閃光法を用いた研究の流れを参考にしたことは言うまでもない。何とかルビーレーザーを動かし,大阪市大応用物理のご出身で又賀研助手だった岡田正さん(阪大名誉教授)に真空管回路を習いながら,ナノ秒過渡吸収スペクトルを測定できるようにした。最初に測定に成功した系はs-テトラシアノベンゼンとトルエンの電荷移動錯体で,その励起状態の吸収,すなわちS1-Sn吸収は,電子受容体であるs-テトラシアノベンゼンのアニオンとよく似ていた5。これは励起状態がイオン対に似た電子状態となっていることを直接示すものとして当時の話題の一つになった。励起状態で初めて電荷移動錯体を形成するエキシプレックス(当時は同じ分子同士で形成されるエキシマーに対し,又賀研ではヘテロエキシマーと呼んでいた)系を含め,国内外で多くの議論が巻き起こった。又賀研では,岡田正,中島信昭(後に大阪市大教授),長倉研の岩田末広(後に分子研教授),林久治(後に理研),小林孝嘉(後に東大教授)の諸氏,海外ではA. Weller, (Figure 3参照), M. Ottolenghi, Z. Grabowski, K. Zachariasse, Frans C. De Schryver, J. Verhoeven博士らの間で,時には激しい議論があったことが懐かしく思い出される。

Figure3 Profs. Noboru Mataga and Albert Weller (Max-Planck-Institute fuer Biophysikalische Chemie) at Faculty of Engineering Science of Osaka University in 1981

又賀研ではナノ秒ルビーレーザーを私が扱ったが,3分間に1回しか発振しないという代物で,繰り返し発振周波数の高い窒素ガスレーザーが必要となった。阪大電気工学にはレーザーのパイオニアである山中千代衛先生の研究室があり,又賀先生と懇意にされていた。大学院生の中島信昭さんが勉強に出かけてすぐにものにし,単一光子計数法による蛍光寿命の測定光源として数多くの電荷移動錯体蛍光,エキシプレックス蛍光の測定が始まった。その後ピコ秒ルビーレーザーが導入され,これも中島信昭さんがピコ秒分光装置に仕立てあげたが,午前中にやっと光学系のセットに成功し,午後測定しているうちに崩れてしまうという状態であった。さらにビームを見るビュアーもなしに光学系を調整し,写真フィルムによるスペクトル測定で,測定後暗室に駆け込み,現像をしてからうまくはかれたかどうかがわかるという手順を毎日十時間以上繰り返していた。1980年代前半になって又賀研にもNd:YAGレーザーを科研費で設置することができた。レーザーの発振周波数も10Hzとなり,ストリークカメラやダイオードアレイ検出器もそろい,これらの近代兵器を前にようやくあるレベルに達したとホッとしたものである6-7。このころまでの又賀研のナノ・ピコ秒レーザーフォトリシス時代の電子移動ダイナミクス,電荷移動錯体の励起状態ダイナミクスの研究が,物理化学のみならず,有機化学,高分子化学,光生物学,物性物理学の多くの研究者に高く評価され,実に多くの研究者が又賀先生と共同研究を展開された。まさに物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間が面白いことを実感した。ここでは字数も限られているので,代表的な共同研究者として、三角莊一(阪大産研),丸山和博,大須賀篤弘(京大理),三川礼,艸林成和(阪大工),田附重雄(東工大資源研),蒲池幹治,森島洋太郎(阪大理),吉沢透(京大理),入江正浩(北大工),柿谷俊昭(名大理)の先生方のお名前を挙げるにとどめる。又賀先生はまさに「桃李不言下自成蹊」(桃李もの言はざれども,下おのずから蹊を成す)を具現しているように思った8

又賀先生が本当になされたいことは,岡田正,田中文夫(前三重県立大教授),平田善則(現神奈川大教授)さんらスタッフと池田憲昭(京都工芸繊維大学教授),宮坂博(阪大基礎工教授),右田雅人(日立中研),中谷清治(筑波大教授),朝日剛(愛媛大教授)さんらの院生が担っており,私は比較的自由に自分のテーマとして何をすべきかを悩んでいた。電荷移動錯体系からより高次の分集合体系への展開を考え,ミセル溶液,高分子溶液のレーザーを駆使した光化学の実験をした。しかし又賀先生は大阪市大時代の小泉研で、1950年代半ばにその方面の論文を6報ほど書いておられ,所詮私は巨人の掌の上であった。パルスレーザーによる時間分解分光を使って固体分子系の励起状態ダイナミックスや反応の研究はどうかと考え,有機薄膜,高分子薄膜の蛍光分光,全反射分光にトライすることにした。1980年ごろである。そのころ田附先生に大いに励まされ,高分子フィルムの全反射分光について科研費を申請したところこれが認められ,気持ちがぐっと進んだ。

又賀先生の方から何も言われないが,データを持って教授室にお邪魔すると何時間でも議論された。それも実験結果の説明や議論が済んだ後の,これからどうするか,この研究は今後どうなるかという先の可能性の話が長くなった。しばらく黙り込まれることも多かったが,一方話が弾み,涙が出るように感激したことも多い。この討論スタイル,先生に真っ赤に直された原稿が私の研究者のベースになったと思っている。レーザーフォトリシスの研究に加えて,大変良い研究スタイルを見せてくださったのが,又賀研の初期の助教授,伊藤公一先生(のちに大阪市大教授)である。有機金属化学の守谷一郎,村橋俊介先生(阪大基礎工)と共同研究をされ,光照射でカルベンを生成する分子結晶を作り,三重項,五重項,七重項など多重項状態の研究を展開していた。工位武治さん(のちに大阪市大教授)とともに正月,日夜を問わぬ研究体制で素晴らしい成果を出していた。これがのちに伊藤公一先生の平成15年の学士院賞受賞(岩村秀・木下實先生と共同受賞)につながった。

4.京都工芸繊維大学時代,時間分解反射分光とアブレーション(1984−1991年)
1984年4月に改組になった京都工芸繊維大学繊維学部高分子学科の教授に任命され,時間分解固体分光による高分子固体の研究を開始した。ナノ秒エキシマーレーザーを買うことができたので,これで多くの学生のテーマを考え,単一光子蛍光分光やピコ秒過渡吸収分光は,分子研の山崎巌(現北大名誉教授),吉原經太郎先生に共同研究をお願いし,使わせていただくことにした。地方大学の若い教授としては,実験に旅費までつけていただける分子研との共同研究は大変ありがたかった。ピコ秒,さらにはフェムト秒へと進む過渡吸収分光の流れには予算的にもついていくことは不可能で,長倉三郎,又賀昇,田中郁三,吉原經太郎先生等の研究室と競争することなどありえないので,ますます物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間でものの豊かさの方にシフトすることにした。1985年の夏,群馬大学の閑春夫先生の御推薦で,IBM Almaden 研究所の平岡弘之博士のところにSummer Faculty Fellowとして3か月呼んでいただいた。なんでも自由にどうぞという事であったので,今後の新しい複雑系光化学研究として高分子のレーザーアブレーションの分光学的研究を試みようと考えた。アブレーション自身は日本では理研の難波進先生の研究が有名で,同じIBM Yorktown HeightsのR. Srinivasanが1982年に有名な論文を書いていた。多くの研究者は光リソグラフィーの手法開発として取り組んでおり,分子論的電子論的研究は全くなかった。IBM滞在中は、分光研究に繋がる分子を含んだ高分子のアブレーションを調べ,その結果をChem. Phys. Lett.の編集をされていた伊藤光男先生に投稿した。これは物理化学ではないと断られるかと思ったが,伊藤先生はこれも新しい物理化学だと言われ受理してくださった。もしあの時拒否されたら,その後の私はもっと保守的な研究姿勢になったかもしれないと感じた。京都工芸繊維大学では助教授の板谷明(同大名誉教授),助手の池田憲昭,福村裕史(現東北大学教授)さんらに大いに助けられて7年間弱、高分子系を中心に時間分解反射分光とアブレーションダイナミクスの研究を展開した。

5.ERATO時代,マイクロ化学(1988-1994年)
1984年にJST(当時は新技術開発事業団)から新しい科学技術を創造することを目指すERATOプロジェクトの研究総括の打診があった。予算としては「ピコ秒化学」で申請しているので,提案書を書いてはどうかという。私は時間分解能をあげフェムト秒にするのは当然で,それは創造科学技術のトライの課題ではないという議論をし,時間分解のみならず空間分解も合わせもつ手法を開発し,反応ダイナミクスを解明し,反応制御を目指す「極微変換」プロジェクトをという趣旨の提案を行った。顕微鏡を駆使して分光,光化学の研究から立ち上げるので,空間分解能は当時の常識としてマイクロメートルになり,プロジェクトとしてはレーザーと顕微鏡を駆使したマイクロ化学が課題となった。ERATOリーダーを決め研究推進を図る審議会の責任者は長倉三郎先生で,のちに田中郁三先生に変わったが,お二人の先生のご理解とサポートを得て研究は大いに進んだ。予算は5年間で20億円,ポスドクは15人と言う破格のプロジェクトであったが,大学の研究室とは全く別,学外に研究場所を確保,また研究者の兼任は一切なしという条件であった。当時は西澤潤一,増本健,早石修,林主悦先生ら超一流の研究者がリーダーを務めておられたが,一方私は若干44歳でしかも基礎的な研究分野で育ったので,何もかも手さぐりであった。私の提案書に賛意を示し大学助手のポストを投げ打ち参加してくれた喜多村f(当時東工大助手,現北大教授),三澤弘明(当時筑波大助手,現北大教授),笹木敬司(当時徳島大医助手,現北大教授),玉井尚登(当時北大助手,現関西学院大教授),一瀬暢之(大阪府大,現京都工芸繊維大学教授),U. Pfeifer(Mainz University,現University of Applied Sciences Wiesbaden教授)らの若手研究者によって,ERATO研究は走り出した。民間から参加しのちに研究機関に職を得た杉村博之(現京大教授),中谷清治(現筑波大教授),鎌田賢司(現産総研主任研究員)さんたちの努力もすさまじかった。

この増原ERATO極微変換プロジェクトの成果としては,3次元空間分解・時間分解分光システムの開発,過渡格子回折分光法の開発,単一マイクロメートル微粒子の分光と光化学,固体/固体および固体/液体界面層の特性解析,単一マイクロ液滴の電気化学,マイクロアレイ上の電気化学,光応答性高分子マイクロゲルのダイナミクス,マイクロ微粒子構造物の光組立・光駆動などがあげられる。またこれを可能にする場を形成する手法開発として,レーザーによる表面微細加工修飾法,走査型顕微鏡による電気化学的表面微細加工修飾法,CVDによるマイクロパターニングにも取り組んだ。今大きな潮流となっているレーザーと顕微鏡の組み合わせによる空間分解・時間分解化学の研究は、我々のERATOプロジェクトから始まったのである。一連の成果は1993,1994年にそれぞれ和書9と洋書10(Figure 4)で,マイクロ化学と銘打った世界最初の本として出版されている。その後,世界中の多くの研究者が追従することとなり,マイクロエレクトロニクス,マイクロマシン,マイクロオプティクスと並ぶマイクロ化学が科学技術の領域として誕生する流れに先んじていたと自負している。この研究成果を問うものとして,Frans C. De Scheryver教授の協力を得て,1993年にブラッセルでマイクロ化学の国際会議を主催した。G. Whiteside (Harvard), M. S. Wrighton (MIT), A. J. Bard (Texas Austin), J. Klafter (Tel Aviv), R. Srinivasan (IBM), D. D. Dlott (Illinois), 田中郁三、本多健一の先生方の参加を得て、成功裏に終了し、時間分解空間分解化学の新しい研究の流れを打ち出すことができた。

Figure4 Masuhara, H.; Kitamura, N.; Misawa, H.; Tamai, N.; Sasaki, K. Microchemistry; Kagaku Dojin; Kyoto, 1993 Masuhara, H.; De Schryver,Kitamura, N.; Tamai, N. Microchemistry: Spectroscopy and chemistry in small domains; North-Holland; Amsterdam, 1994

6.阪大応物時代,レーザーナノ化学(1991−2007年)
ERATO研究展開中に阪大応物の南茂夫先生(現阪大名誉教授)から研究室のオファーがあった。物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間が面白いと言っていた私であるが,応用物理学科で生きていけるかどうか大いに迷った。全国の主要大学の学科を調べても,物理学者が化学科にシフトする例はいくつかあったが,化学者が物理系の教授になっているケースを見つけることはできなかった。ただ阪大応物は光学,顕微鏡で強いことが知られており,南教授以外にも一岡芳樹,中島信一郎の両先生(現阪大名誉教授)がおられ,四番目の光関係の研究室になるという。また南研の河田聡さん(現阪大教授,フォトニクス先端融合研究センター長)が当時は助手であったが,すでに頭角を現していた。私が参画すれば,担当講座名は応用物理学第二講座「応用光学・応用分光学」で,担当講義は分析機器と応用分光学であるという。またこの講座を前に担当されていた吉永弘教授は遠赤外分光装置の権威で,水島三一郎,平川暁子先生とアミノ酸の共同研究をしておられ,その成果は世界に知られていると聞いていた11。しかも南先生は「応物はどんどん変わる。今は半導体のラマン分光などの研究が多いが,今後はレーザーを使った有機物の研究になる」とおっしゃる。又賀研時代から,レーザーの研究会を通して霜田光一,塩谷繁雄,難波進,山中千代衛,矢島達夫先生等のお話を遠くから垣間見し,ERATOで新しい科学技術を開く先輩を見聞きしていた私に,又賀研以来の探索研究精神がよみがえり,応用物理学科に引越しをすることにした。人とは違った環境に身を置くことにより、新しい探索研究が可能になる、これはチャンスだと思った。

ERATOではマイクロ化学であったが,阪大ではマイクロからメゾ,メゾからナノへと,レーザーを駆使した極微領域の分光と反応の研究を展開し,従来の「光と化学反応」の枠組みを大きく変えるレーザーナノ化学の研究領域を開拓したいと思った。ナノ分光法の開発と反応ダイナミクスの研究に関するものでは,京都工芸繊維大学以来のテーマであった時間分解反射分光法を中心とした仕事をしたが,固体のナノ表面や界面層に対してはフェムト秒正反射・全反射分光を,ナノ粒子集団についてはフェムト秒拡散反射分光法を開発し,不均一分子固体系の光反応を溶液と全く同じレベルで解析する筋道をつけた。福村裕史助教授のリーダーシップにより,市川結(現信州大学教授),渡邊一也(現京大准教授),古部昭広(現産総研),鈴木基嗣(現警視庁)さんが研究者として育っていった。その後のナノ分光については,朝日剛さんが顕微鏡とAFMを組み合わせた単一ナノ粒子分光装置を立ち上げ,ナノ粒子の形状と蛍光及び光散乱分光データの相関を明らかにした。これは有機固体の電子スペクトルのサイズ効果を示す貴重なデータとなった。また院生の伊藤民武さん(産総研)は,フェムト秒単一ナノ粒子分光法へと発展させ,単一金ナノ粒子の緩和ダイナミクスを明らかにした。

ナノマニピュレーションと光圧化学に関するものでは,顕微鏡下集光レーザービームの光圧により,室温溶液中の各種分子会合体,高分子,ナノ粒子が焦点位置に捕捉されるダイナミクスを系統的に明らかにした。初期には笹木敬司さんが新システムを構築して研究を開始し,吉川裕之さん(現阪大工)が後を受けて一流のアイデアと指導の下,ユニークな成果を次々と発表をした。この流れからは,堀田純一(現山形大学准教授),伊都将司(現阪大基礎工),増尾貞弘(現関西学院准教授),細川千絵(現産総研)、鍋谷悠(現首都大学東京)さんらが研究者に育っている。

当初ナノアブレーションのダイナミクスとメカニズムの研究には福村裕史さんが当たったが,東北大学への転出後は,朝日剛さんがダイナミクスとメカニズムの解明にリーダーシップを発揮し,最後は溶液中ナノ粒子作製法を開発し世に問うた。坪井泰之(現大阪市大教授),藤原久志(現広島市大教授),古谷浩志(現東大),畑中耕治(現台湾中央研究院副研究員),細川陽一郎(現奈良先端大准教授)さんらが院生として研究を展開した。基礎的研究としては,ナノ秒励起の場合には急激な温度上昇が,フェムト秒励起の場合には局所過渡圧力が,アブレーションメカニズムとダイナミクスの理解の鍵であることを証明した。特にフェムト秒レーザーにより,分子の電子励起が固体のアブレーションに時間発展していく過程を明らかにできた仕事は,物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)を橋架けた研究として気に入っている。この成果は細川陽一郎さんを中心に蛋白質の結晶化,生細胞の非侵襲非破壊的操作法など広く注目を集める方法論として結実した。これらの成果はバイオサイエンスの分野からも注目を集めており,院生であった吉川洋史さん(現埼玉大准教授)はこの分野のパイオニアの一人として活躍している。

これらの私の研究の流れはナノサイエンス,ナノテクノロジー研究の一つとされることが多いが,ナノテクが社会的に注目を集め始めたのは,2000年に米大統領クリントンが教書を出して研究投資を始めてからである。私はそれより一時代早くナノに向かっていたこと,さらにレーザーのポテンシャルにこだわり,あくまで光で分子系ナノの研究にこだわったことで,レーザーナノ化学として独自の流れを作ることができたと思っている。阪大では上述の河田聡教授,柳田敏雄教授,川合知二教授がナノサイエンス・ナノテクノロジーで世界トップレベルでの大活躍をしているが、私はレーザーと分子系にこだわることにより独自性を発揮することができたと思っている。これらの成果をベースに、岩澤康裕、入江正浩、魚崎浩平、福村裕史教授と科研費特定領域研究「極微反応」を立ち上げ、多くの研究者と働いた。その3年間の活動を「分子ナノダイナミクス」(Figure 5)としてまとめることができたのは幸いであった。このような研究展開を評価していただいたのか,J. Phys. Chem. の編集長,G. Schatz,P. Kamat教授は,P. F. Barbara, J. Hofkens, 村越敬,朝日剛,宮坂博,三澤弘明の先生方をGuest Editorsにして,私のFestschriftを2009年に出版してくださった12。修士時代に仙台片平の東北大学化学教室でJ. Phys. Chem.を読み,将来この雑誌に私も論文を投稿することができるのだろうかと思ったあの昔の記憶がよみがえった。

Figure 5 Fukumura, H.; Irie, M.; Iwasawa, Y.; Masuhara, H.; Uosakki, K. Molecular Nano Dynamics Vol. 1 & 2; VCH-Wiley; Berlin (2009)

7.阪大退職後から台湾へ,レーザートラッピングの化学(2007年‐現在)
退職後も幸いにして研究室を設けて研究活動を維持発展することができている。2007年には神戸に設けられた財団法人濱野生命科学研究財団の21生命科学研究所に,細川陽一郎,杉山輝樹(現台湾儀器科技研究所研究員(教授クラス)),宇和田貴之(現城西大)さんらとともにレーザーバイオナノ科学研究室を開設した。2008年からは同財団が奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科に3年間の寄付講座を設置することになり,奈良に引っ越した。と同時に台湾の国立交通大學理学院の李遠鵬(Y.-P. Lee)教授から研究室のオファーがあり,三浦篤志(現北大准教授),宇和田貴之さんらとともに赴任した。これについては土屋壮次先生(東大名誉教授)に大変お世話になった。理学院では台湾人教授に加え,アメリカ帰りの林明章(M.-C. Lin),林聖賢(S.-H. Lin)の両巨頭をはじめ,小林孝嘉,濱口宏夫,中村宏樹,松為宏幸,奈良坂紘一先生らの日本人教授が研究活動に参画し,大学の国際化に協力している。また日本人を含む多くの外国人博士研究員が働いている。Department Seminarなどで訪問してくる外国人研究者も多く,日本の大きい大学と較べても全く遜色ない研究レベルで,伸びるアジアの勢いを感じる。

台湾新竹でも私の研究室にレーザーバイオナノ科学研究室と名付けているが,レーザーの高いポテンシャルを駆使してバイオサイエンス,ナノサイエンスの探索研究を行うとしており,レーザーを駆使したバイオサイエンスのための方法論開発と,レーザーならではの分子新現象の探索とその分子論的電子論的解明を目指している。阪大退職後の2007年に,長年考えていたレーザートラッピングによる分子結晶化に成功し,現在杉山輝樹,柚山健一(台湾交通大助理研究員(助教クラス))さんとアミノ酸と蛋白質の結晶化,結晶成長のダイナミクス,メカニズムの研究に全力をあげている。結晶化は条件により液液相分離に置き換わること,この核化現象の前駆体としてアミノ酸や蛋白質のクラスターが集合し,お互い水素結合でミリメートルオーダーの大きいドメインを構成していることを実証しつつある。これらは物性物理の研究者から,レーザートラッピングによる新しい物質状態の生成を示唆しているとお褒めの言葉をいただいている。また不飽和溶液からも結晶化できること,レーザーの偏光,出力により結晶のモルフォロジーが制御可能であること,タンパクによっては結晶化ではなく,アミロイド形成も見られることなどなど,ユニークな現象が次々と見つかってきている。

加えて最近Anwar Usmanさん(現King Abdullah University of Science and Technology)とともにフェムト秒レーザーパルスによるナノ粒子の高効率な捕捉とそれに続く放出現象を見出している。この現象はパルス幅にも,繰り返し周波数にも依存する興味深いトラッピング現象で,現在その理解のためのモデルを作る必要に迫られている。また多光子吸収が容易に起こるので,ナノ粒子の電子遷移と多光子共鳴すると捕捉効率が高くなることが理論的に予測されていたが,その実証実験にも成功しつつある。交通大に滞在中のJSPS博士研究員である村松正康(阪大基礎工出身),工藤哲弘(大阪府大出身)さんとこれらの研究を展開しているが,力学的なナノマニピュレーションを分子の電子状態で制御することの可能性が示されつつあり,ナノテクノロジーの分子科学と考えることもできよう。物理(ものの理の研究)と化学(ものの豊かさの研究)の間を時には物理の方へ,あるときには化学の方へと揺れ動きながらレーザーにこだわって研究を展開してきたが,レーザートラッピング化学はまさに分子新現象の探索と解明の研究であると満足している。この分野から将来の分子科学の研究者が数多く輩出されてくるに違いないと思っている。

参考文献
(1) Kato, S.; Koizumi, M.; & Uchida, K.; Kato S.; Koizumi, M. Nature 1959, 184, 1620-1621.
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又賀f教授退官記念誌 回顧と展望; 大阪, 1991.
(7) Fleming, G. R.; Chemical Applications of Ultrafast Spectroscopy: Oxford University Press: New York, 1996
(8) 「桃や李(すもも)は,口に出してものを言うわけではないが,美しい花やおいしい実があるから自然と人がやって来て,そこに小道(蹊)ができる。つまり,桃や李は,人格のある人のたとえで,そういう徳のある人には,その徳を慕って人々が集まってくる。」という意味。
(9) 増原宏,喜多村f,三澤弘明,玉井尚登,笹木敬司, マイクロ化学; 化学同人; 京都, 1993.
(10) Masuhara, H; De Schryver F. C.; Kitamura, N.; Tamai, N. Edt. Microchemistry: Spectroscopy and chemistry in small domains; North-Holland; Amsterdam, 1994.
(11)馬場宏明,坪井正道,田隅三生,回想の水島研究室; 共立出版; 東京, 1990.
(12)Hiroshi Masuhara Festschrift, J. Phys. Chem. C 2009, 113, 27, 11425-11974.


(このメッセージは分子科学研究会の電子ジャーナル、Molecular Science A0066 (2014)と同じです)



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