増原メッセージ:(36)「中西八郎先生を偲ぶ会」における追悼の言葉

令和元年9月1日、午後1時〜3時
ホテルメトロポリタン仙台

ご指名でございますのでご挨拶させていただきます。台湾の国立交通大学の増原です。中西八郎先生とこんなに早くお別れすることになろうとは思ってもいませんでした。2年前に光化学討論会のため仙台に参りましたので、ランチでもご一緒したいとお電話いたしました。すると「恥ずかしながら体調不良にて失礼をいたします」と断られ、そのままになってしまいました。長年のご好意にむくいることもできず悔いが残っています。

中西先生と私は昭和30年代後半に東北大学で学びました。中西先生は工学部の学生で有朋寮におられ、私は理学部で鈎取東原に下宿しておりました。二人とも教養部のあった川内へはバスで通っていたはずですし、当時の両学部は青葉山ではなく片平キャンパスにありました。中西先生は一年先輩ですから、いつもすれ違っていたはずですが、学生時代は中西先生を存じ上げませんでした。

中西先生のお名前を意識したのは、繊維高分子研究所で若手リーダーとして固体高分子材料の研究を活発に展開されたころかと思います。房江夫人とご夫婦でのご活躍は、当時は珍しかったので、印象に残っております。

お親しくしていただくようになったのは、何時頃か思い出せないのですが、ここにご出席の同級生伊藤攻先生、電気化学の板谷勤吾先生、中西八郎先生と飲みました。光と電子のどちらが化学、材料として有望かという議論です。雰囲気は若干荒れたのですが、それをなだめ、「これからは光と電子だね」とうまくまとめ上げたのは中西八郎先生です。

中西先生のご研究はまさに「これからは光と電子だね」であります。高分子材料、有機材料の光機能・電子機能の研究として、大ブレークし、ナノテク時代のナノ結晶・多元ナノ材料として世界とリードしてきました。ここで感謝と敬意をこめて、中西先生が主導してこられた研究プロジェクトを振り返っておきたいと思います。

科研費・重点研究「有機イオン塩系高性能非線形光学材料の開発」(1995年〜)
科研費・特定研究(A)「有機非線形光学材料による光波マニピュレーション」(代表・宮田清藏先生、1995年〜)
未来開拓学術研究推進事業「超高速光・光制御材料
の探査的研究」(代表・小林孝嘉先生、1997年〜)
科研費・特定領域研究(B)「光操作による単一有機微粒子の光機能と反応の制御」(代表・増原宏、1998年〜)
JST CREST「有機ナノ結晶の作製・物性評価と多元ナノ構造への展開」(2000年〜)

非線形光学材料からナノ結晶への大きな流れが浮き彫りになっています。ここにおられる先生方におかれましても、ご一緒にご奮闘され大いに感動されたことと思います。

ここで少し増原個人の思い出を述べさせていただきます。
1997年に奈良で、新規光活性材料、Unconventional Photoactive Solidsの国際会議を共同で開催いたしました。このときは房江夫人もご一緒に参加され、私にとって記憶に残る会議となりました。

ご一緒に科研費特定研究「単一微粒子光科学」を立ち上げたのでうが、準備は如何にするかのイロハからご指導いただきました。書類の書き方、根回し、事前訪問などなど。東北大の金研や電子工学の大御所の先生とお話しさせていただく機会を得ました。

この特定領域研究が終わるときの二次会での思い出があります。別れがつらいと私が「星影のワルツ」をうったのですが、中西先生はすぐに、「今日は別れではない、これからだ」という趣旨の歌を歌ってくださいました。私は演歌に疎く残念ながら曲名はわからなかったのですが、今日の偲ぶ会で「骨まで愛して」でした。中西先生の厚い人情に感激したものです。

私も75歳になりますが、長い人生のなかで中西先生とお知り合いになり、いろいろ教えてただきました。私の人生の幸運でもあり、幸せでもあります。中西八郎先生に心からお礼申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。

中西八郎先生ご略歴。
享年78歳、昭和17年9月20日生まれ、平成31年4月8日急逝。
固体高分子反応、有機非線形光学材料、ナノ結晶の作製と応用を専門とする化学者。
東北大応用化学専攻修士課程修了、繊維高分子材料研究所を経て東北大学教授。
反応化学研究所長、多元物質科学研究所長などを歴任、定年後東北大学監事。
科学技術長官賞、工業技術院院長賞、日本化学会学術賞、高分子学会功績賞、瑞宝中綬章などを受賞。


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