ニュース & トピックス: 故鈴木健二さんの追悼文集に寄せたメッセージ
故鈴木健二さんの追悼文集に下記のメッセージを寄稿させていただきました。 .................................................................................................................................................................................... スズケン君の想い出 大学が独立法人化を迎えることが決まってから、言わば研究費の自由化が始まり、複数のプロジェクトを同時に並列に研究室内に走らせる時代が来た。 その結果、私の研究室にも沢山のポスドクが集まることとなった。2000年代前半のことである。鈴木健二君はその代表選手で、産研岩崎研での仕事をもとに 阪大応用物理学専攻で工学博士の学位を取ったあと、私の研究室に参加した。彼には信じているサイエンスがあり、その為なら身を懸けてでも働くが、 好きでもない実験をする気は鼻からないという雰囲気であった。経歴から察してもそれはすぐ理解できたので、具体的な課題を出して働いてもらうことを 私は最初から考えなかった。むしろ彼のように本当に研究が好きで好きでたまらない男が、四六時中研究室にいて実験し議論をしてくれる、その結果生まれる 素晴らしい雰囲気を作ってくれることを彼に期待した。私の設定した研究課題は極めて大雑把で、以下のような枠組みのもとで、自由に研究してもらいたい と伝えた。マイクロナノの空間分解を視点に、分子系をターゲットに増原研にある装置を使い、動的な新しい概念につながるような研究をすることである。 結果はご存知通りで、大好きなコロイド界面化学の分野で、脂質膜が微細加工した表面に展開していくダイナミクスを調べ、3報の論文を書いた。 その分野の一里塚とみなされるいい仕事となった。 その後岩崎研、理研で研究を展開するが、時々メールが届き電話がかかってきた。いずれも大学関係のポストに応募する際の参考人になった欲しいという 依頼であった。スズケン君はいつも直線的すぎるやり方だったので、君の筋論を活かすためにはこうしたほうがいいよと、アドバイスをするのが私の役だった。 彼のような研究者らしい研究者が、きちんと研究者として評価されるような仕事を出来るようにセットする、それが私の役割だと思っていた。彼と話すのは 本当に気持ちが良かった。そしてある日、「JSTさきがけ研究者に選ばれました、これから専任研究者になって100%研究です」と喜びの電話がかかってきた。 さきがけは若手研究者のいわばブランドで、さきがけ研究者になるとよりよいポストが得られやすことが知られている。ついにスズケン君も一流の若手と 一般に認められたのだ。もう大丈夫だ、これで彼は研究で名を上げ准教授になる道は見えたと拍手した。 しかし2009年の11月末にメールが届いた。引用させていただく。「・・・それよりも、突然ですが、JSTの健康診断(胃バリウム)で胃がんがみつかりました。 その後、内視鏡の精密検査でも胃上部から食道に広がる悪性腫瘍が見つかりました。治療に専念するため、さきがけ研究を休業して、12/1から実家に戻り 愛知県がんセンターに入院する予定です。今後の 精密検査で、転移がんが見つかればもう回復は見込めないかもれませんが、もうすこ し頑張ってみます。 もし、研究に復帰できるようなことがあれば、いろいろお世話になるつもりです。これまでありがとうございました。また、今後もよろしくお願い申し上げます。」 私は涙し、言葉を失ったが、私も家族、親戚に癌で病んでいる人をかかえまたみてきた、希望を失わないことだとただちに返信した。その後、 すぐに入院しますとメールが戻ってきて、その次の2010年4月のメールは、研究を再開したとの連絡で、大いに喜んだ。その後別件で、鈴木くんが属する 理研前田研を訪問する用事があり、彼と研究現場で会った。いつもの明るい口調で研究の現状を話してくれた。相変わらずの薄着だったが、突然着ていた シャツをめくってこんなに切られたのですよと屈託なく見せてくれた。規則正しい生活をするようにしていること、自炊を始めたこと、少し早く帰宅するように していることなどを聞き、これから長く研究するのだからそれがいいと楽しく話した。それからお互いの多忙もあって行き来はなく、突然JSTから訃報が届いた。 こんなに研究が好きな男を、自分のしたいことがフルに出来るようになったまさにその時に、神はなぜ召してしまったのか。まことに残念でならない。 合掌。
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